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嵐絵巻 その2

1985-1989

「記憶にあるのはほとんどCDだけど、家にはステレオもあった。小さい頃よくこうやってたよ」と、大野はレコード針を下ろす仕草をして見せた。レコードに成り代わってCDが台頭してきた80年代半ばには、櫻井にも音楽にまつわる原体験が。

「親父がギターとピアノをやるから、3歳でエレクトーンを習い始めた。だから音楽は、‘聴いていた’というより、‘やっていた’感じが強いね。親に連れてかれるコンサートはクラシックだけ。当時、全然面白くなかったけど(笑)」幼少期、音楽に触れた機会の多さだけ見れば、大野と櫻井の年長組が突出していたのかもしれない。その洗練された音楽性を生かし、後にソロライブを行っているのも彼ら二人である。とりわけ、9歳くらいで経験した生まれて初めてのライブが、当時好きだった高中正義だという大野には驚く。

保育園に入った相葉は生粋のマイペースぶりが窺い知れる‘伝説’を作る。「保育園のお泊まり会に参加した時、寂しくなって夜中にひとりで帰っちゃったの。家は歩いて5分10分の距離だから自分的には問題なかったんだけど、次の日、保育園は大パニック(笑)」自然児の彼は、よもやのちのち仕事に生かされるなどとは露も思わぬまま、たくさんの動物とたくさんの草花に囲まれて、平和な日々を過ごした。体は強くなかったものの、運動神経は昔から良かった!と自負する。

毎朝ゲームをしてから幼稚園に行くほどファミコン愛好者だったと語るのは、意外にも松本。「今でも大好きだけど、やり出すと止まらなくなるから抑えてるのだとか。

大人になった今なお片時もゲームを手放さず、内外にゲーマーとしてその名を馳せらせている二宮は、「原(辰徳)さんに憧れて野球を始めた。なんで原さんだったんだろ、、親父の受け売りじゃない?俺、ウルトラマンとかそういうのにも興味なくて、ヒーローといえば原さん。当時ジャニーズも分かんない。自分が事務所に入るまで、誰がジャニーズだか全く知らなかったね」

夢中で野球に勤しんでいた二宮少年を除く4人がこの頃、類似体験しているものこそ、‘初めてのジャニーズ’。’87年にデビューした光GENJIの影響で、ローラースケートを履いていた、と4人とも口を揃える。「でもカッコイイ!って感覚でもなかった、あくまで流行り、って感じ。光GENJIに関しては、小学校1~2年の頃、家に親戚が集まる正月パーティーの場でもよく歌ってたよ。俺が歌うとみんな笑ったりするから、それが楽しくて」(大野)。なお、彼の場合は2~3歳の時、3人組の戦隊ヒーロー‘サンバルカン’の正体が、シブがき隊だと思い込んでいたというから、厳密にはそちらが‘初ジャニーズ’なのだが。

大野がサンバルカン、櫻井がチェンジマンと、傾倒したヒーローで微妙な世代差が分かる。松本の幼稚園の頃の思い出にしてもそうだ。「初めて観に行ったショーは、後楽園のヒーローショー。怪獣みたいな悪者が子供を連れ去ろうとする所へ、確か‘ターボレンジャー’かな、ジェットコースターの先頭に立って登場するんですよ。それがスゴイカッコよくて、ジェットコースターにまで憧れて(笑)。一度、バックステージに運ばれたことがあったんですけど、そこにレンジャーがいた時は大興奮でした!」真っ直ぐなショーマンシップ既に疼いていたことを思わせるエピソードだが、それ以上に、この話を一生懸命に語る声から今も彼の中に残る純真さを感じ、ほっこりさせれれるのであった。

大多数の子供がそうであるように、嵐の面々も公立の小学校に上るが、櫻井だけは小学校受験を経験。エレクトーンやスイミングなどの習い事に加えて、短期間塾にも通い、慶應義塾幼稚舎の合格を勝ち取った。「自分の意思でもないし、受かって嬉しい、ってことも別になかった」らしいが、この櫻井家の選択が後年、彼のキャラクターを広く知らしめるのに一役買ったことは言うまでもない。

1990-1994

’90年代に突入し、全員が小学校に上ると、5人5様のやんちゃぶりが本格化!「体育は普通ぐらいで、あとは全滅。目立つ子ではなかったと思う。夏休みの宿題なんてやらなかった(笑)」という大野をはじめ、櫻井は目立ちたがり屋の‘プチ・ガキ大将’、逆に人前に出るのが嫌いな二宮は学芸会でも裏方専門、松本は学校が終わったらランドセルだけ置いて夕刻まで帰らないようなわんぱく少年だったという。相葉は学校大好き少年。「小学校なんて先輩・後輩も男も女もあまり関係ないしさ、クラスみんなで一緒にいるのが楽しかったね。学校以外だとドリフ!5人とも好き。『ドリフ大爆笑』と『だいじょうぶだぁ』は必ず見てた。将来一緒にお仕事するなんてね、、その頃はただ笑ってるだけだったのに(笑)」(相葉)

好きだった、あるいはよく見ていた、と5人全員が答えたのは『ドラゴンボール』。当時の爆発的な人気を思わせるが、中でもこの作品に出会って大きく可能性を開かせたのが大野。小学3年生の時に、同級生がドラゴンボールのイラストを巧みに描いているのに触発され、まずは模写から、絵を描くことが好きになった。「絵に目覚めて、マンガも買い始めて。ガッツリ読んだマンガってそれが最初だね。本読むのは今も昔も苦手だからさ、最悪、文字を読まずに絵だけ見て終わったりしてた」ちなみに、グループ内随一の達筆でもある彼が書道を習っていたのは小学2年生から2年間ほど。4段という腕前だが、それも『ドラゴンボール』と同じ。文字の意味はさておき‘形’として美しく描きたかったのだという。きっと相手の名前は忘れても、顔や声は忘れないタイプ。

その頃、櫻井少年は、多忙な習い事生活を送っていた。学校でブラスバンドとラグビー、放課後には塾、習字、絵にピアノに一時期には剣道も。さらに4年生からはサッカーに魅了され、プロ選手目指して複数のチームのセレクションを受けまくっていたというから恐れ入る。’93年、櫻井6年生の春にJリーグが正式発足、バブルも弾けた日本国中が妙な明るさの中、オーレ!と歌っていた、そんな時代だ。’94年に中学に上った櫻井は迷わずサッカー部に入部。体育会の空気や上下関係を学ぶ。

松本が音楽を聴き始めたきっかけは小学2年生の夏、’91年。交通事故で2ヶ月ほど入院した折、同じ病院にいた中学生の女の子からカセットプレーヤーの存在を教えられた。小さい松本には長かった2ヶ月という時間、彼は音楽やテレビドラマの楽しさを覚え、それから高学年になってビートルズの洗礼を受ける。

相葉は野球と迷った末、中学の部活にはバスケを選択。二宮は相変わらず野球一筋。松本は野球を得意としつつもサッカーに燃え、マンガ『SLAM DUNK』やマイケル・ジャクソンの影響によりバスケにも熱を上げる雑食スポーツ少年だった。’93年に中学に入学した大野は、軽い気持ちでバドミントン部に入るも、その激しい運動量に愕然。「外練はほとんどサボってた(笑)。だって、走ったり素振りばっかで全然打たせてもらえないんだもん。サボっても公園で打ってたんだよ?バドミントン自体は好きだったから。まぁ、Jr.になって、中3はほとんど行けてなかったけど・・・」そう。大野は中学2年で人生の大きな岐路に立った。母がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことから、’94年10月、5人中一番乗りで事務所入り。見えない運命はいよいよ5本の糸を一本へとたぐり始める。

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