’05 アラシゴト~大ちゃん~
小さい時は落ち着きがなくて、怪我ばっかりしてた。「触っちゃダメ」って言われるたそばから缶詰のフタに触って、指をザックリ切ったり、自転車の後ろに乗って「足、気をつけろよ」って言われてるのに車輪に足挟んで15針も縫ったり、、。他にもいっぱい傷がある。ダメな子供だよね。それ以外は普通の子供だったと思うよ、友達と駄菓子屋に行ったり、ザリガニ捕ったりして遊んでた。
絵を描くようになったのは小3。同じクラスの‘カッちゃん’の影響だった。それまでも絵は描いたりしてたけど、カッちゃんの描いた『ドラゴンボール』の絵を見せられた時に火がついたの。すっごい上手くて、‘負けたくない!’って思ったんだよね。それからは勉強もしないで、ひたすら絵を描いてた。カッちゃんは面白いヤツだったんで、2人でつるんでるうちに、自然と僕まで‘面白いヤツ’って見られるようになった。そうなると、それまでみんなの前で面白いことなんて言った事なかったのに、言えるようになるんだよね。性格まで変わった気がする。カッちゃんから受けた影響はものすごく大きいと思う。
うちの親はすごく自由に僕を育ててくれた。「勉強しろ」なんて言われた事なかった。父ちゃんは釣りが好きで、よく連れてってくれた。前の晩に父ちゃんが釣り道具を手入れしてると嬉しいんだよね、「明日は釣りだ!!」って。僕、そういう前の晩が超好き!
ジャニーズに入ることをすすめてくれたのは、母ちゃん。「イヤだよ」って言ったのに、「どうせ、あんたは落ちるから」なんて言って、履歴書を送ることになった。週に1回、レッスンに通うようになって、最初は50人くらいいたのが、どんどん減っていって、最終的に4人。その内の一人が町田(慎吾)だった。2人で一生懸命踊ったな。不思議だよね、町田とはそれからずっと一緒。
初仕事はTOKIOの武道館コンサート。そこで初めて‘ジャニーズ歓声’を聞いて、家に帰ろうかと思った。ビックリしたの。(コンサート開始直前に)暗転した瞬間、ドカーンってきて。人の声とは思えなかった。本当に怖くなっちゃって。ステージに出ても、周りを見ている余裕はなかったね、段取りで頭がいっぱいで。正直、芸能界とか仕事にはあんまり興味がなかったんだよね。別にドラマに出たいとも思わなかった。ただ、踊りだけは‘なんて楽しいんだ!’って思ったの。踊りだけは、とにかく上手くなりたかった。
後輩が次々入って来て、人気のあるヤツがどんどん前にいくでしょ、僕はずーっとそのバック。‘何でだ?オレの方が上手いぞ!’ってずっと思ってた。そんな状況だったから、‘前で踊りたい’っていう気持ちが強かったの。だから、京都ではメインでやれる、って話聞いた時、迷わなかった。母ちゃんも喜んでくれたしね。その時僕、高校もやめてたし。町田と一緒に、入学3日目に校門で引き返して、それっきり。それでも親はなんにも言わなかった。「やめるの?」「うん」、それだけ。高校に通ってたら京都には行けなかったから、僕の選択は間違ってなかったと思う。京都での経験は、僕の中でもすごく大きなものになってるから。2年目の公演も自分から「行きたい」って言ったの。ソロで踊れる、って話を聞いて、行きたくて行きたくて。この時のソロ『COOL』は、初めて納得のいく踊りが出来た思い出の曲。今でもあれほど踊れない、って思うくらい、思った通りに体が動いた。‘芸能界はもういいかな’って思ったのもその時。実はまた絵を描きだしてたの。自分の納得いく踊りも出来たし、東京に戻ったら事務所をやめて、新しく絵の関係の仕事に就こうと思った。
一応‘やめる’って意志は伝えたんだよ、でもなぜか『MASK』に出る事になって、そのままズルズルと『PLAYZONE』にも出る事になっちゃった。で、そのまま嵐、ですよ。すごい迷ったよね、僕にとっては最後のチャンスではあるから‘このまま波に乗ってみよう’と思ってからも、なかなか心から前向きになれなかった。他の4人はTVにもいっぱい出ていて人気もあったけど、僕はずっと京都。僕の事なんて誰も知らないんだよ、デビュー曲が一位になったりして、嵐が人気あるのはわかったけど、‘僕のファンはいない’って思ってた。だって「誰?コレ?」みたいなコトバ、たくさん耳に入ってきたし、「なんでタッキーじゃないの?」とか、、、。‘知らないよ!’って思う反面、‘僕で良かったのかなぁ’って・・・。すごいマイナス思考に陥ってた。
でも、嵐の5人でいる時が本当に楽しくて。最初から本当に居心地が良かったの。いろいろ不安なことはあったけど、5人でいる時の空気感に救われてた。そんなことがあったから、1stコンサートはすっごい不安だったね。‘僕のウチワを持ってくれている人はいるのか?’って。客席に僕のウチワをたくさん見つけた時の喜びと、ホッとした気持ちは忘れられない。そこでようやく、心から前向きになれた。
嵐になってから、たくさんの出来事があって、その度にどんどん前向きに、仕事にも意欲的になれてるのが嬉しいんだよね。なかでも舞台の仕事は自分の変化を感じる事が多くて、思い出も濃厚な気がする。’03年の『センゴクプー』では、ダンスに対する情熱みたいなものを思い出させてもらった。京都にいた時みたいな、‘もっと踊りたい、上手くなりたい’っていう思い。京都でひとまず達成感を味わってからは、‘気が済んだ’状態が続いてたんだけど、『センゴクプー』で久しぶりに激しく動いたら、結構動けたんだよね。それが嬉しくて、無性に踊りたくなった。それからは火がついたように、海外アーティストのビデオ観たり、レッスンしたり、、、。そんな自分、久しぶりだった。
ドラマや映画に比べれば、舞台の方が向いてるのかもしれない、と思う。『ピカ☆ンチ』なんかでも、現場で自分の演技をチェックして、‘イマイチかなぁ、、’って思っても、「もう1回やらせて下さい」って言えないんだよね。舞台は繰り返し稽古出来るでしょ、その中で自分で納得のいくところまで持っていける。映画とかドラマの方が僕にとっては‘一発勝負’なの。
芝居と違って、いつも‘早くやりたい!’って思うのがコンサート。ソロ曲なんて、ツアー中にもう次のツアーのこと考えてたり。振り付けも自分で考えるようになった。・・でも、未だに‘僕のファンはいないかもしれない’っていう気持ちが毎回どこかにあるの。ステージに出ると、まず僕のウチワを探す。それが見つかって、初めて安心して‘よしっ!’って気持ちになるんだよね。今までのコンサートのビデオは全部もらってるんだ、僕。それを一人でたまに見返すの。ヘタクソで頭にくることもあるけど、僕にとって、嵐で過ごした時間っていうのはすごく大事なものだから。そういうものもすごく大事にしたいんだよね。
こういう仕事をしていると、この世界以外の人と接する機会がなくて、なんか寂しい感じがする時もあるんだ。騙されたり、っていうこともあるから、ついガードが固くなっちゃったりもするんだけど、逆に相手がずーっと気を遣ったままだったり、、。仕方ないのかな、って思ってた時期もあったけど、やっぱりそういうのは寂しいよね。そう思ってから、僕自身変わったと思う。自分から声をかけるようになった。知らない人にでも。‘面白そう’と思うと、その人のことを知りたくなっちゃうんだよね。気が合う人って、目と目が合った時にわかるよね。またよく目が合ったりするんだよ、なんでだろう?でもそれも、声をかけてみなきゃ目が合っただけで終わっちゃう。それは勿体無い気がするんだよね。自分から心を開いた分、楽しさとか幸せは入ってくるもんだよ、僕はそう思う。
嵐もこの先どんどんいい状態になっていくと思う。それぞれが嵐を大事に思っていて、コンサートをやる度に結束が固くなっているのを感じるから。この先、どんな展開が待っているかはわからないけど、5人の仲の良さだけは変わらないと思うよ。
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