’05 アラシゴト~相葉ちゃん~
保育園の頃は、オヤジの方のおじいちゃん、おばあちゃんに預けられてたんだよね。親はお店をやっていたから、すごく忙しくて・・。でも、寂しい思いはしてなかったよ、母ちゃんに甘える代わりにおばあちゃんにベッタリだった。おじいちゃんは映画とか、野球を見に連れて行ってくれた。いっぱい遊んでもらったよ、いろんなことを教えてもらった。‘人に迷惑をかけるな’‘メシは残すな’‘借金はするな’‘保証人にはなるな’、、、とか。小さかったから意味はわからなかったけど、ちゃんと覚えてる。そんないいおじいちゃんおばあちゃんだったのに、いろいろ困らせたりもしましたよ。おばあちゃんは花が大好きだったのね、庭一面に花を育てていて、花と花を受精させてキウイを作ったりもして、、、。それをオレが棒で全部なぎ倒しちゃったの。おばあちゃん、怒ってね、「なんでこういうことをするの?!」って泣いちゃったんだよ。あれはいけなかったね、、今でも胸が痛むよ。それからは草花を大事にするようになりました。
弟が生まれてからは家族4人で暮らすようになったの。お店が休みの水曜日には、毎週外食に連れて行ってくれたし、旅行もたくさん連れて行ってくれたな。すごく楽しかったよ、でもなぜかTVゲームだけは買ってくれなかったけどね。小学校ではプールの授業が大好きだった。本当に毎日スポーツばっかりしてた。月~金がバスケットボールで、土日が野球、TVもあんまり見なかった。マイケル・ジョーダンが好きだったから、よく真似して舌出しながらバスケしてたの。でもあれは、口の中が乾いてしょーがないんだ、あれでバスケすのは無理
ウチにはたくさん動物がいたんですよ、オヤジが好きなんだよね。小さい頃から軽い動物園みたいだった。犬にリスにオウムに金魚、、。一番新しいペットは陸ガメのゴンタ。幼稚園の時、おたまじゃくしを飼ってね、うれしくてうれしくて、いっつも見てたの。そうしたら、ある日ボコッと足が出てきたんだよ、すっごいビックリして・・。知らなかったの、おたまじゃくしがカエルになる、ってこと
中学生になってからはバスケ部に入って、ますますバスケに熱中してた。そんな時に『愛ラブSMAP』を見て、‘SMAPとバスケがしたい!’って思っちゃったんだよね。で、クラスのジャニーズ通の女の子に「SMAPとバスケがしたいんだけど、どうしたらいいかな?」って相談したら、「ジャニーズ事務所に入ればいいんじゃない?」って。別に応援してくれた訳じゃなくて、「本当に送るの?バスケ出来るかどうかはわからないよ」なんて感じ。オレも「そっか、じゃあ部活でやってればいっか」くらいの気持ちだったの。だから一ヵ月後にオーディションに呼ばれたときはビックリしたよ。‘ジャニーズって踊らなきゃいけないんだ!’ってそこで初めて気付いたの。そもそもオレ、バスケットボール持っていってたからね、慌てて隠しましたよ。
嵐になることはオレが一番最後に聞いたの。ラジオの仕事に行く途中で、違うところに行け、って言われて。‘なんだろう?’と思ったら、4人がいたの。そこでいきなり『A・RA・SHI』の振り付けが始まったんだよね。その3日後にはハワイですよ、もう何がなんだかわからなかった。デビューするなんて思ってもみなかったし、そんな自信もなかったし。不安で不安で、怖かったよ、「オレ、どうなっちゃうんだろう」って。でも、すぐ‘そんなこと言ってる場合じゃない’ってわかったけどね。連日、朝から晩まで次々に仕事がやってきて、とまどってるヒマなんてなかった。それまで‘何となく楽しいから’でやってきたのが、‘とにかくやらなきゃいけない’に変わってた。気持ちが前向きになったのは、握手会が大きかったと思う。あんなに集まってくれるなんて思いもしなかったし、実際8万人、一人一人と握手すれば、その重みはイヤでもわかるよ。その人たちの為にも‘頑張らなきゃ’って思った。あとは5人で雑談とかしてる時が、すっごい楽しかったの。移動中とか、いっつもみんなで大笑いしてた。でも、仕事でトークするとなると、全然違っちゃうんだよね、さっきまでのハイテンションはどこにいっちゃったんだよ、って感じで、、、。少年隊の錦織さんとNYに行く特番やった時も、あまりにヒドくて事務所の人に怒られたもんね。「あなたたちはカメラの前で全然しゃべれない」って。それは自分たちでも感じてたから、すごーく辛かった。みんな、すごい落ち込んでたね、嵐ってね、怒られるとすごい落ち込むの。みるみる、しょぼ~ん、って。
自分のキャラを出せるようになったのは、『Aの嵐!』を始めた位からじゃないかな。初めて自由に自分を出せたのがあのコーナーで。そこでようやく今の自分のキャラが出来上がってきたんだよね。『天才!志村どうぶつ園』も最初の頃はすごく迷ってたんだよ、毎回ほとんどしゃべれなくて・・。全く初めての場所に、たった一人放り込まれて、自分の場所をイチから作ってかなきゃならないことの大変さ、難しさをこの番組で思い知った。改めて勉強になったことはすごく多いよ。「ロケに出たい」って言ったのも、スタジオにいるだけじゃ本当に話せないから。ロケに行けば、それをきっかけにいろいろ話せるかな、と思って。だから、ロケに行けることになった時は本当に嬉しかったよ。過酷なことも多いけど、全然平気♪噛まれてもいいや、くらいの気持ちでやってる。
一人で仕事をすると、改めてわかることってたくさんあるよね。嵐でいられることの嬉しさとか、嵐のために自分が出来ることは何なのか、とか。オレ、嵐大好きなんですよ、今のオレの人生だと思ってる。
小さい時から体があんまり丈夫じゃなかったの。お医者さんと友達になっちゃうくらい、よく病院には通ってたんだけど、入院したことはなかったから、初めて(自然気胸で)入院した時には、本当に怖かった。嵐のビデオクリップで、サックスライブをやろうと思って、ずっと練習してたんだよね。その日も練習しながら‘なんか痛いな~’って思ってたら、すぐに歩くだけでも痛くなったの。前兆みたいなものがなかったからビックリした。そのまま手術することになって、5日間も入院したからね。一人で病室にいると、いろんなことを考えちゃうんだよね、ちょうど『ナイスな心意気』のプロモーション時期だったのに、それも出来なくなっちゃって。正直、‘嵐をクビになるのかな、、’とか思ったよ。だから入院中、一度だけ歌番組の収録に行けたときはすごい嬉しかった!まだ手術したばっかりで痛かったけど、出られないよりはいいよ。メンバーとか周りに迷惑をかけるのが一番辛かった。
病気のせいでサックスライブが出来なくなった時は本当に悔しかったよ。ミュージシャンの方もお願いして、撮影場所も押さえてあったんだよね、そのためにすごい練習してたのに・・。スタッフに「1回だけやらせて」っていっぱいいっぱいお願いしたんだけど、ダメって言われて・・。ヘコみましたね、ビデオもオレの部分だけ、ただのインタビューになっちゃうし。胸には今もあの時の手術の跡があって、毎日見るたびに、あの時の気持ちを思い出して‘頑張ろう!’って思うよね。
今はとにかく一生懸命いろんなことをやる。仕事でも遊びでも、中途半端は一番イヤなの。そんなんだったらやらないほうがいいと思う。やりたいとなったら、すぐ行動に移すほうだし。じっとしていられないんだよね。
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