’05 アラシゴト~松潤~
小さい時はすごい甘えん坊だったみたい。末っ子だったから、甘え放題だよね。2歳上のアネキとも仲良しで、良く一緒に遊んでた。人見知りだから自分から知らない子の中に入っていけないんだよね。児童館に行っても、アネキにくっついて、アネキの友達の中に混ぜてもらってた。幼稚園も最初は行きたくなくて、門の所で泣いて駄々こねたのを覚えてる。2~3日は誰とも話せなくて、、、。今もそうだけど、自分から話しかけるタイプじゃないんだよね。話しかけてくれるヤツがいて、やっと話せるようになる。小学校も中学校も、高校もそうだった。1回溶け込めば、あとはもう大暴れなんだけど
小2の夏休み、家族旅行の前日に軽トラックに轢かれたんだよね。近所の駄菓子屋でジュースを振って飲んでたら、手がベタベタになっちゃって、手を洗いに行こうと道に飛び出した所で轢かれたの。何メートルか引きずられて、血がダラダラ出て、死ぬかと思った。駆け寄ってきたおじさんたちに、なぜか「ごめんなさい、ごめんなさい」って必死に謝ってたのを覚えてる。結局27針縫って、二ヶ月くらい入院したの。その傷はまだ残ってる。
芸能界に興味を持ったのは、アネキの影響になるのかな。アネキがKinki Kidsの大ファンで、一緒にビデオを見るうちに「オレもやりたい!」って思うようになった。小学校の卒業式の日に、事務所に写真を送ったけど、ゴールデン・ウィークが過ぎてもなんの連絡もこなくて、諦めた頃にジャニーさんから電話がかかってきたの。「ユー、来ちゃいなよ♪」だもん、行っちゃったよ、レッスンに。一見、‘お掃除のおじさん’風な感じなんだけど、やっぱりジャニーさんってすごい人なんだよ。いつも黙って、オレら一人一人のことを見ていてくれて・・。困ってる時にはちゃんと話しかけてきてくれるからね。オレらがどんなヤツか、どんなことを考えているのか、ちゃんとわかってるんだよね。
中1の夏には、いろんな先輩のバックでコンサートや歌番組に出してもらえるようになった。特別緊張はしなかったね、それよりもワクワクしてた。状況が変わってきたのは中2になってから。自分がメインの仕事が増えてきて、すっごい忙しくなったの。単発ドラマから始まって、舞台、ドラマ、映画・・・今考えると‘すごい恵まれてたなぁ’って思うけど、当時はそんなことまるでわかってなかった。だから当然なんのプレッシャーもなくて、ただの怖いもの知らずだった。そんな一年が過ぎて、中3になった頃、学校にあんまり行かなくなっちゃったの。なんかね、学校がものすごく視野の狭い、小さい世界に思えちゃって、、、。その時のオレは広い世界を知った気でいたから、学校がものすごくつまらない世界に思えちゃったんだよね。その代わり、仕事については少しずつ考えるようになった。コンサートの構成を初めて考えたのもこの頃。当時よく滝沢(秀明)くんと一緒にいたんだよね。あの人の仕事に対する姿勢は刺激になったし、影響も受けたと思う。「コンサートは自分たちで作るもんだ」とか。そんな彼が別の仕事で、どうしても時間が取れなくって、オレがその年のJr.冬のコンサートの構成を考えることになったの。「なんでオレが?!」って思ったよ、オレより先輩は他にもいるわけだし、それまではただの‘出るもの’だったのが、いきなり全体を見なくちゃいけなくなった。それは大変だったよ、なかなか進まなくてスタッフにも迷惑をかけたし・・・。でも、その時の経験はすごく大きかった。嵐になって初めてのコンサートも、「絶対に人任せにしたくない!」って思えたから。
自分の中には常に「こうなりたい」っていう理想形があって、それに近づく為に今の自分に足りないものはなにか、それを補うにはどうすればいいか、を常に考えてやってきたんだよね。でも、考えれば考えるほど、足りないものばっかで・・・。今もまだ、時間が足りない。この仕事を「やめようかな」なんてことを、これまで一度も考えた事がないのは、そんなことを考えている暇がなかったからかもしれない、、、。
嵐になった時は、正直不安しかなかったね、「なんでオレらなんだ?」って・・・。やっぱり滝沢くんの存在が大きかったから。すごい複雑だったよ。ただ、‘グループになれた’ってことは素直に嬉しかったの。ジャニーズに入った瞬間から、グループを組んでCDデビューするのが夢だったから。「夢が叶った」って思ったの。デビューしてから暫くは、嵐の中で‘やられキャラ’的なポジションにいたよね。最年少ってこともあって、そういう感じになってたんだろうと思うんだけど、いつしかそうじゃなくなってきた。それまでずっと、どこか甘えん坊な性格を引きずってたの。でも、‘嵐のメンバー’としての責任は5人同等なはずでしょ、年の差で重くなったり軽くなったりするもんじゃない。最年少だからって甘えていいわけではない。それに気付いた頃から本来の自分のキャラが出てきたんだと思う。
コンサートに関しては、構成をやってる分、他のメンバーよりも思い入れは強いかもしれない。『HERE WE GO!』のツアーは特に印象深いものだった。あの時初めて、メンバーといろんなことを話し合ったの。「今後の嵐をどうするか」「自分をどうするか」「自分たちにとっての嵐ってなんだ」とか・・。毎日、朝まで話し合った。自分の中では、嵐が出来た時からそういう話し合いがしたかったし、個別にはいろんな時に話してはいたんだけど、メンバー全員で話せたのはその時が初めてだった。きっと、いろんなタイミングがそこに集中したんだろうね。それまで自分たちは型にとらわれていたんだよね、ジャニーズのグループ、っていう型とか、アイドル、っていう型とか。でも、その時に「今既にある型に、無理に入る必要はないんじゃないの?自分たちがピッタリ入る型は自分たちで作ればいい」って言ったのを覚えてる。
‘嵐らしさ’って、5人だけで作られるものじゃないんだ、って最近思ってる。嵐のことを思ってくれているファンの人や、いろんな仕事のスタッフ、そういう人たちと一緒に作っていくもの。それがどんな形になっていくかは、まだまだこれからにかかっていると思う。
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