18日、嵐スペシャルの『Premium』MCの国分クンとは親交のある嵐。緊張感なく、愉しげにいろんなお話してくれました番組丸々嵐なんて贅沢極まりないお時間でした
<嵐年表>
1994年:大野智(13歳)、事務所に入る。初仕事はTOKIO初の武道館コンサート。
1995年:櫻井翔(13歳)、事務所に入る
1996年:松本潤(12歳)、二宮和也(12歳)、相葉雅紀(13歳)、事務所に入る
1997年:舞台『Stand by Me』出演(相葉・松本・二宮)
1997~1998年:京都での舞台『KYO TO KYO』出演(大野)
1999年:嵐 デビュー記者会見(ハワイ・ホノルル沖 船上)、デビューシングル『A・RA・SHI』発売、ワールドカップバレーボール’99イメージキャラクターとなる
2000年:嵐 1stコンサート、櫻井翔慶應義塾大学入学
2001年:国分太一&嵐が出演バラエティー『USO?!JAPAN』スタート、嵐初の単独レギュラー番組『真夜中の嵐』スタート
2002年:自分達のレーベルから初のシングル『a Day in Our Life』発売、相葉雅紀 病気で入院・手術、松本潤 ドラマ『ごくせん』に出演、‘HERE WE GO!’ツアー、嵐 初の主演映画『PIKA☆NCHI~LIFE IS HARD だけどHAPPY』公開
*この年、全員が個人でのラジオのレギュラー番組を持つようになる
2003年:二宮和也出演の映画『青の炎』(監督・蜷川幸雄)公開、大野智舞台‘プーシリーズ’の初回となる『センゴクプー』に出演
2004年:24時間テレビ『愛は地球を救う』チャリティーパーソナリティー
2005年:松本潤出演のドラマ『花より男子』スタート
2006年:‘ARASHIC ARACHIC ARASICK Cool&Soul’ツアー、初のアジアツアーを行う、いろいろな実験を行う特番スタート、二宮和也出演のハリウッド映画『硫黄島からの手紙』公開
2007年:東京ドームで初の単独コンサート、全員が出演した映画『黄色い涙』公開
2008年:大野智 初の個展『FREESTYLE』開催、年間シングル売り上げ一位となった『truth/風の向こうへ』発売、2度目のアジアツアー(国立競技場/台北/ソウル/上海)『ARASHI AROUND ASIA2008』
2009年:嵐10周年
大ちゃんの第一印象
‘踊りの上手い人らしい’by翔クン:事務所に入って、最初の練習の時、社長に「you!彼の後ろで踊ってきなよ!」と言われて、‘あぁ、この人は模範になるような踊りの上手い人なんだなぁ’って。
‘踊りの練習もせずに鼻をほじっていた’byニノ:オーディションの後の日曜日、初めてのレッスンの時、皆が踊っているのに、一人だけ椅子に座って鼻を穿ってみんなを見ている輩がいたんです。その時にパッと目が合って、自分の感覚では30秒近く、ずっと目を見られながら鼻を穿られたんです。で、この人はジュニアじゃないんだな、って。みんなが踊っているのに、一人だけ踊ってないから。・・・昔からそういう空気あったんです。
翔クンの第一印象
‘学ランを着ていた’by相葉ちゃん:翔クンを見ると良く学ランを着ていて、学校との両立が相当大変なんだろうな、って思ったのを覚えてるんです。 国分クン:だって、今のジャニーズ事務所の大学ブーム作ったでしょ。あと、Rapも。田中聖(KAT-TUN)も言ってたよ、櫻井クンがRapやってたから、自分もRap始めたんだ、って。 ニノ:新たな選択肢を作った男ではありますよね。
‘怒られた’byニノ:青山劇場の楽屋で、社長が差し入れしてくれた牛丼を同期のみんなで食べて、片付けて、じゃぁ行こうかってロビーで出番を待っているときに、僕の方に歩いて来て「おまえの同期が弁当箱を片付けないなら、おまえが片せ!」って凄い勢いでキレられたんです。・・なんて理不尽な、って思いましたよね。 マツジュン:昔はいろんな所に地雷があったんですよね。 翔クン:ゴミ片付けないのとか大嫌いで。それと同時に、自分の事はちゃんと自分でしようよ、って。教育っていったら大袈裟だけど、ちゃんとやろうよ、って言いたかったんでしょうね。その言い方が問題だったんでしょうね。
マツジュンの第一印象
‘背がすごく小さくてハキハキしゃべる’by相葉ちゃん:初めてレッスンに行った時に、後ろの方で座っていたら、マツジュンが「分かんないでしょ、教えてあげるよ」って。背が小さいのに、ハキハキしてるな、ってイメージがね。すごい印象に残ってるんです。
‘一生懸命踊っている’byニノ:野球のオールスターの始球式で、そろそろ始めようかって言われた時、みんなはまだ普通に喋ってたりしてる中、ジュンクン一人だけ(ポーズ決めて)スタンバイしてるんです。一分間くらいずっと同じポーズで待っての。 国分クン:一番真面目じゃない? ニノ:そうですね、真面目ですね。真剣ですもん、何に対しても。
ニノの第一印象
‘野球のうまいやつ’by翔クン:楽屋に入っていったら、見たことない子がキャッチャーの練習してたんです。ひと月後に予定していた野球大会で、キャッチャーがいなくて、経験者のニノが抜擢されてオーディションしていた、ってことだったんです。
‘ウソツキ’byマツジュン:一番最初に会った時にウソつかれたんです。当時、全然似てないジュニアがいたんですけど、その子と兄弟だ、って言い張ってたんです。何も理由がないのに。 ニノ:なんかねぇ、松本に何かしてやろう、ってことになって。小さくて可愛かったから。
相葉ちゃんの第一印象
‘コイツ誰?’by翔クン:雑誌の取材でハワイに行く時に、大野クンと一緒に喋ってたら、見たことない人がいきなり荷物持って現れたんです。アイツ誰だ?って話になって、結局現地に着いたときに、新しいジュニアの子だって分かったんです。 大ちゃん:僕も覚えてるんですけど、、僕は翔クンの方が気になってて、、、。(翔クン)すごく小さかったのに、自分より大きなスーツケースを持って来ていて・・。なんでこんなでかいの持ってくるのかな、ってずっと気になってました。 国分クン:・・それは、初めて見るジュニアの子より、気になったの? 大ちゃん:(笑顔で頷く)
十年間で嵐にとって重要だった仕事・転機となった出来事
大ちゃん:1999年11月『A・RA・SHI』でデビュー:レコーディング手伝ってくれ、って言われて、別にいいかな、と思って行ったらこの曲で・・。まさかデビュー曲とか、何も知らないし、、、。歌ったんですけど、こんな曲、売れるかぁ?!って思ってたら、売れた、から・・わかんないなぁ、この世界は・・って。 ニノ:ずっと辞めたい、って言ってたんです。コンビニで働きたいって。僕も気付くの遅かったんですけど、二ヶ月位して、それは僕じゃなくて、事務所に言った方がいいよ、って。 マツジュン:僕の印象だと、(デビュー当時)3人は後ろ向きだった印象ありますね。二人(大ちゃん&ニノ)と翔クン。 ニノ:僕は’99年の1月に社長に言ってたんです、12月で辞めまっせ、って。演出家になろうと思って。で、社長のOKももらってたんです。 翔クン:僕も2000年の4月に大学入るんですけど、大学入ったら辞めようと思っていました。(’99年)7月くらいに、社長からバレーボールのイメージキャラクターやらないか、って言われて、それが12月くらいで終わるから、まぁいいかなぁと思って‘いいよ’って返事したら、どうもその後の雰囲気が怪しくなって。大野クンがレコーディングに呼ばれたり、相葉もハワイ行く直前に呼ばれたり、、。で、ニノがウチに泊まりに来た時に、‘もうこれはやばい!デビューしちゃうぞ!社長に直談判しに行こう!’って事になって、次の日、社長の家に行ったら、いなかったんですよ、社長が、、、。でテーブルの周りとかうろうろしてたら、‘新ユニットグループ名一覧’て書いた紙があって、アルファベットのグループ名が並んでて、それには大きくバツされてて、横に‘嵐’~アルファベットのグループ名が続いているので、これからは日本ぽいのがいいのでは?~、、、て。‘うわぁ~、、尚のこと嫌だわ~、、『嵐』はないよぉ’と思って、ニノと二人でもの凄いテンション落ちて帰ったんです。・・・なんだかんだと話は進んでって、気付いたらハワイにいたんです。 ニノ:で、ハワイに着いた瞬間に、この人(大ちゃん)が、ハワイの空を見ながら『これが最後のハワイだな』って言ったんです。まだそこでも辞めようと思ってたんでしょうね、まだ辞めれる、って。
翔クン:2000年4月ファーストコンサート:やっぱり、大きかったですよ。コンサートが決まっても、出してる曲が『A・RA・SHI』一枚しかない、、そんな中でコンサート出来るのかな、お客さん集まるのかな、て。 相葉ちゃん:僕は、ふわふわしてたんで、‘あ、やるんだ!ファーストライブ♪よし!やろうぜ!’って感じでしたね。
~翔クン、2000年ファーストコンサート(『スッピンアラシ』より)~嵐になって数ヶ月間、自分が選んだ道が正しかったのか、良く分かりませんでしたけど、今では、嵐で良かったと思います。仕事を、ちょくちょく休んでたけど、今までついて来てくれたファンの人と、沢山の友達と、一緒に頑張った全てのジャニーズジュニアに、ありがとう。これからも、嵐のファンで良かった、と思われるような嵐になっていこうと思うので、応援よろしく。
相葉ちゃん:嵐 初の単独レギュラー番組『真夜中の嵐』スタート:これは大きかったですね~、、 マツジュン:いかりや長介さんが、ファーストコンサートを見に来て下さって、事務所の人に、‘すごい良かったよ’って言ってくれたことで、(事務所から)何かプレゼントあげるよ、何がいい?って話になったんです。で、その時にみんなで言ったんだよね。 相葉ちゃん:そう。深夜でも、何でもいいんで、嵐の単独の番組が欲しいです、って。(やってみて)すごい大変だな、って実感しました。続ける事って大変なんだな、って。
マツジュン&翔クン:2002年‘HERE WE GO!’ツアー:翔クン:コンサート終わって、5人で一緒にご飯食べよ、って言って、大野クンの部屋に集まって、『この先、どうしていったらいいんだ、俺らはどうすべきなんだ』って事をとにかく話したツアーだったんです。・・・不安だったし、焦ってもいたんでしょうね。でも、やっぱりすぐには変わらなくて、そこで話し合ったことが仮に形になってきたとしたら、最近かな、って思います。
マツジュン:『花より男子』に出演:2005年に始まって、つい最近まで、、その世界観に触れてる期間が長かったんですね。スタッフも若い人達が多くて、、、ギラギラしている人が多かったんです。そういう人達とやってきたんで、自分にとっては大きかったですね。
大ちゃん&翔クン&ニノ&マツジュン:2006年初のアジアツアー:翔クン:大野の言葉を借りるなら、‘二度目のファーストコンサート’でしたね。 大ちゃん:・・・あの、、不思議でしょうがないんですよね、、向こうで仕事した事ないし、、日本で仕事しているだけなのに、僕らの事知っていてくれて、、コンサートに来てくれる、って言われてたけど、、出る前までは不安でしたよね。・・・後から聞いたら、(メンバー)みんな同じ気持ちだった、って。 翔クン:結果として、アジアツアーを日本でも見たい、って声が上がって、初めての東京ドーム公演に繋がったんです。(アジアツアーは)僕らの後々の流れに乗る最初のきっかけでしたね。
相葉ちゃん:2006年いろいろな実験を行う冠特番がゴールデンでスタート:5人で、、深夜とかじゃなくて、いろんな人に見てもらえるチャンスが多い所で番組が出来た、っていうのがね。
嵐のどこが好き?
大ちゃん:仲良し
翔クン:嵐が一番 嵐を好きであるという点
マツジュン:皆イイヤツ!
ニノ:何でも楽しそうにやること
相葉ちゃん:自分達が一番 嵐の事を好きなんだと思っています
国分クン:みんな同じ意見だね 翔クン:やっぱり楽しいですからね、5人でいる時は、、カメラが回っていてもいなくても。
いつものことながら、仲のいい5人を見ると癒されます『風の向こうへ』を歌っている時も、すごく楽しそうで見ているこっちまで楽しくなれちゃいました♪今年の10周年ライブが楽しみ
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